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   ツアー  
1981年4月 
 
  今を去ること30数年前(1981年)、当時はまだオートキャンプは高嶺の花でした。4月だったと思いますが、当時代々木の体育館前で第1回か第2回だったと思いますが、「全日本オートキャンプショー」が開催されており、たまたま通りかかった時に家内と息子と3人で覗いたのが、キャンピングカーとの付き合いの始まりでした。 

あまり国産車では良いのが無くて、VWウエストファリアがなかなか良かったとの印象が強く残っています。いくつか見ているうちに武キャンパーが出品していたマツダのボンゴベースの車があり、大きさと仕様がまあ妥当な水準だったため、これなら自分でも購入できるかな?と思ったくらいで、その時点ではまさか購入する羽目になるとは全く思いませんでした。 

ところが、帰宅してから考えているうちに、猛烈に欲しくなり、翌日には中野坂上にあったマツダのショールームに駆け込んでいました。ボンゴも型によって車高が異なるものがあることも判明し、結局予算と駐車スペースとの関係で、ショートバージョンを購入することとなりました。 またこれも予算の関係で、流しとベッド兼用の折りたたみ式のシートのみ購入。あとは自作することとしました。 子供が小さかったのですが、スペース的にはま親子3人が寝るには、結構きつかった記憶があります。結局キャンプではもうひとつ小さなテントを持参して、本人はこちらで寝ていました。雨の時は困りましたが。 

下の写真がボンゴベースの第一号キャンピングカーです。

さて、内装はまったくトラックのままでしたから、手始めに内張りを張りました。化粧ベニアを断熱材でサンドイッチしてビスでひとつひとつ留めてゆくのですが、一人で支えながらねじ止めするのが難しかったため家内の応援を得て、何とか作業は終了しました。 最初は手回しのドリルでやってましたが、とても対応できず、ついに電動ドリルを購入。これは画期的に仕事がはかどりました。 

その後、下駄箱とか、ポータブルトイレの収納箱とか、流しの電動ポンプ取り付けとか、いろいろ手を加えて、約2年くらいは乗りました。町田方面のキャンピングクラブ(オーニングをロッキーで購入した際に、勧められて入会したもの)に所属し、毎月定期的にキャンプツアーに参加。子供は一人っ子でしたから、仲間が増えて大変喜んでおりました。

さて、しばらくこれで楽しんでおりましたが、社命により高松へ転勤となったのを機に、より大型のキャラバンのハイルーフを購入。地元のコーチビルダーに内装を依頼しました。当時はなかなかビジネスとして成立しにくかったと見えて、私の車が納車された直後、このビルダーはつぶれてしまったようでした。車が戻ってきただけ良かったと思った次第。技術的にはかなり雑な出来上がりで、あとで自分でかなり手直しせざるを得ませんでしたが。

下の写真がキャラバンベースの第二号キャンピングカーです。

高松へ移ってからも、所属クラブは相変わらず昔のまま町田でしたから、毎月の例会には参加できず、大きな行事の時だけ参加するようにしておりました。秋の北陸一週ツアー(3泊4日)に参加したときは、とにかく四国から海を渡るのが大変。まだ本四架橋がありませんので、フェリーで神戸へ渡り、そこから名神高速、中央高速をのりつぎ、長野で合流。これを真夜中一人で運転できたのですから、まだ若かったのでしょうね。ファミリー同行は往きだけで、帰りは家内と子供を実家に帰し、帰途は一人ぼっちでまたまた長距離を運転です。さすがに一日で500キロ以上走ると疲れましたね。今ではとても考えられませんが。

その後、数年してまた東京へ戻りましたが、もう子供も一緒に行かなくなり、こちらも仕事が忙しくなり、土日の休みも満足に取れない状況で、とうとう車を売却し、以後オートキャンプからは足を洗っておりました。

4年前外資系に転職し、本社がスイスということもあって、仕事を兼ねて毎年スイスに出かけておりました。海外旅行も良いのですが、やはり時差がつらいこと、なんと言っても費用がかかること等の理由で、国内旅行を見なおしても良いかなと思うようになり、夫婦二人で気軽に旅行を楽しむという趣旨で、再度オートキャンプにチャレンジしてみようという気になったわけです。