2012.05.06 都城 誠子マミー生誕の地を訪ねて
道の駅「都城」はどうやら地元の方々の待ち合わせ場所というかここで集まってから、まとまってお出かけのための基地のようだ。夜もサッカー少年達の送り迎え、朝も野球少年たちのお見送りでお母さん方は大忙し。
今日は誠子マミーご生誕の地を訪ねる旅。戸籍謄本の住所、志和池村はなにせ昭和20年当時のものなので、現存せず。東京に居る息子の協力を得て調べてもらった。結果、志和池という地名は住所表示としては残っていないが、学校などの固有名詞としては残っていることが分かった。早速志和池小学校付近の交番で尋ねてみたら、親切なお廻りさんが、「昔沖縄の人たちが住んでいたと聞いたことがある。」との有力情報をゲット。とりあえず言われた志和池中学校に行ってみた。
写真の校門の門柱だけは当時(60年前)のままと後日確認。
校門の前で写真を撮っていたところ、お向かいの表具屋さんがもの珍しそうにキャンピングカーを見ている。なにかご存知かもと思い、沖縄情報につきお伺いしてみた。沖縄の件は記憶がないとのことだったが、たまたま誠子マミーのペンフレンド(誠子マミーが生まれた家の家主さんの娘さん)の名前を出したところ、何とそのお宅のご親戚だった。それから先はとんとん拍子に話がすすみ、ペンフレンドに電話で連絡を取ってもらい、無事にご対面ができることになった。
親切な表具屋さん吉行さんご夫婦。
お友達が来られるまで、こちらのお宅で待たせていただき、お茶と自家製あく巻きまでご馳走になってしまい、あまつさえお土産までいただくしまつ。宮崎の方は皆さんたいへん親切。
待つことしばしで、ようやく元ペンフレンドが登場。ペンフレンドだから今まで会ったことは無かったそうで、先方も大変びっくりされていたが、誠子マミーもまさか今回会えるとは思っていなかったようで、こちらも大興奮。
このあと、このお友達のお宅に招かれ一家あげての歓待で恐縮するばかり。お友達の母上の妹さんがご健在で誠子マミーは覚えていなかったが、誠子マミーのお母さんはよく覚えているとのことだった。
元ペンフレンドの満留さんご夫妻とおばさん
誠子マミーはこの家の離れ(小屋?)で生まれたそうだ。
都城から霧島連山が良く見える
今回の生誕地を訪ねる旅は大成功だった。
これで都城で思い残すことは無くなったので、最後の目的地鹿児島へ。
九州は北海道と違って観光地から観光地までの距離が思ったよりも近い。約2時間ほどで都城から鹿児島の道の駅「喜入」に到着。
道の駅の海側には新日本石油の巨大な原油タンクが林立しているおり、これは壮観。
ここは道の駅に温泉施設が付属しているので、われわれキャンカー族には大変ありがたい存在。さっそく風呂へ。料金は¥300と格安。ただし、石鹸の類はないので持参する必要はあり。お湯は内湯のみ。湯船は広大。やはりアルカリ性でぬるぬるする。湯の温度はやや高め。さっぱりして車に戻る。道の駅といっても、温泉施設がメインで情報コーナー、レストランなどはあまり充実しているとは言えない。P泊だけなら十分だが。
明日は鹿児島市内へ戻って観光再開。
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